標本修復事業
被災標本レスキュー −人吉城歴史館所蔵の前原勘次郎植物標本−
清水晶子 (キュラトリアル・ワーク推進員/植物分類学・キュラトリアル・ワーク学)
根本秀一 (東京大学大学院理学系研究科附属植物
園・特任研究員/植物系統分類学)
池田 博(本館准教授/植物分類学)
2020年7月4日の豪雨による球磨川の氾濫によって、熊本県人吉市にある人吉城歴史館に保存されていた前原勘次郎標本が被災したという情報は、西日本自然史博物館ネットワークおよび植物系学芸員のメーリングリストによっていち早く日本各地の自然史博物館のスタッフに知らされた。人吉市出身の前原勘次郎(1890?1975)は、大正から昭和にかけて、教職のかたわら主に熊本県南部の植物を採集した植物研究家である。前原は東京大学や京都大学の植物分類学の先生に標本を送り同定を求めるとともに、自らも1931年に熊本県南部地域の維管束植物をとりまとめた『南肥植物誌』を出版した。前原が送った標本は、当時はなかなか行くことのできない地域のものが多く、それらの中から新分類群(新種や新変種)も多く記載されている。東京大学総合研究博物館にも、中井猛之進(1882?1952)が記載したヒトヨシテンナンショウArisaema mayebarae Nakai(サトイモ科)やマエバラザサ Sasa mayebarae Nakai(イネ科、図1)、小泉源一(1883?1953)が記載したツクシイバラRosa adenochaeta Koidz.(バラ科) 、本田正次(1887?1984)が記載したワタリスゲ Carex conicoides Honda(カヤツリグサ科)など、記載のもととなった前原採集のタイプ標本が数多く収められている。人吉城歴史館にあったコレクションは、前原自身が最後まで手元に置いていた植物標本であるが、その中には、これら新分類群記載のもとになったタイプ標本の重複品も多く含むことが予想された。
我々が受けた連絡は、被災した標本が収蔵してあった部屋は水没しただけでなく、土壁が溶けて流れ出したため、標本は泥水に浸かった状態であったこと、とりあえず標本は回収して一時保存しているが、標本の劣化(腐敗)を防ぐため、標本を一時保管してくれる冷蔵施設を探している、とのことであった(図2, 3)。夏の暑い時期でもあり、一刻の猶予もない状況だったため、熊本県博物館ネットワークセンターの前田哲弥氏によって標本は各地の博物館に送られたが、7月22日時点ではまだ受入先のない段ボール箱220箱の標本が残っているということであった。東京大学植物標本室としては、まず7月27日に理学系研究科附属植物園小石川本園で5箱を受け入れた。当館でも7月28日に10箱を受け入れたものの、まだ相当数残っているという連絡を受け、地下の冷凍庫を使えば更に受け入れが可能であると判断し、その旨連絡した。この時期に博物館は耐震工事のために使用不可能であり、即座に何かできるわけではなかったが、濡れた標本はすぐにカビや細菌の活動で分解されてしまうので、冷凍保管だけでも早くした方がよいと考えたためである。標本は8月7日に追加で50箱が届き、空けてあった冷凍庫のスペースギリギリに収まった。耐震工事の最中でもあり、作業を進める予定も立っていなかったが、標本を見殺しにはできないための緊急避難的な受け入れであった。
その後、内外の博物館スタッフや実習生などの助けも得て、植物園と博物館のハーバリウムスタッフが中心となって試行錯誤しながら標本の解凍、クリーニング作業(泥やカビの除去とアルコール噴霧)、乾燥をおこなった。主な手順としては、1) 冷凍庫から出して1日以上おいて解凍する、2) 標本を挟んである新聞紙をきれいにした後、注意深く標本を壊さないように新聞紙を剥がす(図4, 5)、3) 標本についた泥を水で濡らしたスポンジでぬぐい取って除去し、標本にはアルコールを噴霧して泥やカビをできるだけ取り除く(図6)、4) 標本と新聞紙(新聞紙も貴重な資料である)を新しい新聞紙に挟み、間に乾燥シート(車のシートに利用されるパルプが原料で通気性もあるハトシートをカットしたもの)と段ボールを入れて重しをしておく、5) 場合により乾燥シートと段ボールを交換して50 ℃の送風乾燥機に入れ乾燥させる(図7)、という作業をおこなった。幸いなことに、博物館の乾燥機は比較的大型のものであったので、一度に一箱分の標本を処理することができ、乾燥にやや時間がかかるものの、連続して次の日に別の箱を作業することも可能だった。しかし、一人の人間が作業にかかりきりになれないことから、作業の引き継ぎが問題であった。これに関しては、作業をどこまでやったか、現場に行かなくても分かるスプレッドシートなどを利用してできるだけ情報共有したが、初めての作業でもあり、やはり誰かが通して作業を見る必要があった。また、作業による標本の状態の変化を記録するため、できるだけ経時的に標本撮影をおこなった。作業全体を通じて、標本を縛った束をひとつの単位として、標本をばらけさせないこと、標本の順番を崩さないこと、組み標本が離れないようにすること、剥がれたラベルをなくさないようにすること、などの注意が必要である。現在までにほぼ半数を処理することができたが、まだ半分ほどが冷凍庫に保管されている。残りの標本についてもできる限り早く作業を終え、もとのところへ返却できればと思っている。クリーニング作業には、赤司千恵(帝京大学)、興津拓真(千葉大学)、鹿野研史(本館研究事業協力者)、坂本真理子、鈴木あかり(千葉大学)、ジエーゴ・タヴァレス ヴァスケス Diego Tavares Vasques(東京大学総合文化研究科)、瀧澤糸子、藤井伸二(人間環境大学)、三河内彰子(本館研究事業協力者)、山本 菫(横浜国立大学)、渡邊璃緒の各氏にご協力いただいた。また、熊本県博物館ネットワークセンターからは被災写真の提供をいただいた。ここに記して感謝申し上げる。
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